和泉市指定史跡 信太貝吹山古墳
平成十五年三月二十八日指定
信太貝吹山古墳は、信太山丘陵北西麓の
海岸線に向かって舌状に派生する低位段丘
に立地しています。古墳は全長約六十m、
後円部径五十m、同高さ七、七mの
前方後円墳ですが、前方部が短いことから、
帆立貝式古墳と呼ばれています。
埋葬施設は明らかではありませんが、
過去の調査等で、墳丘に埴輪列と葺石が
施されていたことが確認されるとともに、
円筒埴輪、形象埴輪、滑石製槽等が出土
しています。

信太貝吹山古墳

和泉市北部の信太地域では、上代町にある和泉黄金塚古墳に次いで、五世紀中頃に造られた
古墳です。
古墳は、墳丘や周濠の保存状態も良好であり、和泉北部の古墳時代社会を知る上で貴重な
位置を占めていること、また江戸時代に和泉・大鳥郡内の一橋家領五十四ヶ村の農民が蜂起した
「千原騒動」の際、一揆に参加した農民たちが、法螺貝を合図にここに集まったことから「貝吹山」
とよばれるようになったとも伝えられており、近世史の上からも重要な位置を占めていることから、
和泉市の歴史を語る上で欠かすことのできない貴重な文化財として墳丘部が和泉市史跡に
指定されています。
平成十七年三月
和泉市教育委員会

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JR北信太駅から、府道30号線へ出て、郵便局の道路挟んで向かい側、やや北寄り。
看板がなければただの空き地にしか見えない。
フェンスがあって中には入れない。