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平安時代の斎宮が伊勢下向生活に備えて
潔斎生活をした野宮の一つ。
斎宮に任命されると一年間、宮中の初斎院に入って身を清め、その後浄野に造られた仮宮
(野宮)で一年間ほど潔斎生活をする。
平安時代の野宮は主として嵯峨野一帯に設けられ、建物は天皇一代ごとに造り替えた。
南北朝の戦乱で斎宮制度は廃絶したが、
神社として後世に残された野宮神社には
黒木(皮のついた丸木)の鳥居と
小柴垣が再現されている。
斎宮となった六条御息所の娘(後の秋好中宮)が一年間、野宮で斎宮生活を送り、いよいよ
伊勢に下向するという直前に、

野宮 (野宮神社)

市バス野々宮バス停が一番近いけれど、私は嵐電か阪急の嵐山駅から歩く。
バス道から野宮までは、美しい竹林になっているので、そこも楽しみの一つだ。

光源氏が六条御息所を野宮に訪ねる場面が『源氏物語』「賢木」にみえる。
そこは小柴垣を外囲いにし、仮普請の板屋が建ち並んで、黒木の鳥居とある。

はるけき野辺を分け入り給いより、いとものあわれなり。秋の花みなおとろへつゝ、
 浅茅が原もかれがれなる虫の音に、松風すごく吹きあはせて、
 そのこととも聞きわかれぬほどに、ものの音ども絶え絶え聞こえたる、いと艶なり。
(中略)
 ものはかなげなる小柴垣を大垣にて、板屋ども、あたりあたりいとかりそめなり。
 黒木の鳥居ども、さすがに神々しう見わたされて
、」『源氏物語』「賢木」巻より抜粋  
                                          平成二〇年三月 京都市